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他力本願

私はトレーナーとして活動する中で『先生』と呼ばれることがあります。たいした人間でもなく、先に生まれた訳でもないのですが(笑)俗にいう敬称というヤツです。ありがたいことに、敬われている訳です。ちょっとでも、有益なものを提供してくれている、身体を強くしてくれる、痛みを改善してくれる等と感じて頂いているということです、きっと。だから、先生と呼んでくださるのだと思います。

だからと言って威張る訳でも、驕りがある訳でもありません。

トレーナーとして仕事をさせて頂けるのは頼ってくださる方がいるからであって、私の力はたいしたことありません。結果が出ているのもアドバイスを素直に聞き入れて、実行して頂いているからです。私の仕事は『自力作善』のお手伝いをさせて頂いてると思っています。だから、結果が出たのは本人の頑張りであり、凄いトレーナーがいたからではありません。岡目八目と言うぐらいですから、他人が見たほうがわかることがたくさんあるのです。

『他力本願』というのは仏が修行して自ら悟りを得て、衆生を救うのではなく、阿弥陀如来の本願によって救われるという意味ですが、俗人は自分で努力するのではなく、他人がしてくれることに期待をかけることと受け止めています。(私もですが)本来の意味のほうが、トレーナーとトレーニーのより良い関係に近いのではないかと思います。頑張り、努力をする人に、こういうやり方もあるよとか、こうすると簡単だよ、なぜならこんな理由があるからさみたいな。

しかし、世の中は後者の『他力本願』=『神風主義』なんですよ。なぜなら、皆、楽したいからです。「これだけ食べてればOK」「1日たったの5分」「◯◯も使っている」等に魅力を感じてしまうのです。そして、失敗すると「これだけは無理」「毎日できない」「◯◯は特別」等と言い訳します。

どんなに簡単なことでもやり続けることが出来ないと成果は出ません。成果を出すためには自らやらなければいけないのです。神風を待つのではなく、神風を吹かすくらいの努力がなければ何も変わらないということです。

私は動きの中での痛みはある程度改善できると思っています。なぜなら、動きを変えることが出来れば、痛みは出ないからです。(骨が折れてる、腱が切れてる等は病院で治してもらってください😅)動きを変えるのは本人次第です。やってもらう気持ちでは全く変わりません。身体を変えるのも、本人の動かし方次第ということです。「あそこのリハビリ病院では治してくれなかった」「あのスポーツジムでは痩せなかった」「あのスクールでは上手くならなかった」と言う前に続けられるパートナーを見つけてください。

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